クロッキーブックの彩雲

「君は泣くふりも素敵だ 姿のいいひとよ」

彼の地

数年前に聞いた話

首都圏で流行ったファッションが九州に到達する時、どこが一番最初か?

まあ当然福岡やろーと思ったら、実は熊本らしい

首都圏の売れ筋が福岡規模の商圏でも当たるかどうかを検証するために、まず熊本に持ち込んで反応を見る、とか

これは一部では有名な話で、首都圏どころか海外のファッションも熊本が最初、という説もあるらしい、が、真偽の程は分からない
とはいえ、そういう話が広まるというのは、熊本人のオサレ意識が非常に高いという現実が実際にあるため、なんやろーなあ、と思った

で、その後
今からちょうど3年前のこと
家族で熊本へ旅行に行った際、個人的に非常に楽しみであった
やっぱり街には目を引くオサレさんが多いのかな?と

そんな目で街行く人を見れば、いるわいるわ、なんてことない格好の中に、ちょっと気の利いたシルエットだったりワンポイントだったり、というアイテムをお召しの方々があっちゃこっちゃ

 

ちぎらちゃん

市電を待ってる時に、向かいの乗り場にいた人
軽やかなピンクベージュのトレンチの中にボーダーのミニワンピ
足元は緑ベルベットのウェッジパンプス、なぜか古着屋で買ったもののように見えた
そして上條淳士「sex」のちぎらちゃんばりのくるくるカールの髪
今では珍しくもなくなったこのテのアラレちゃんメガネ、2013年頃に福岡で堂々とかけてる人、おったかな…

 

主将のオーラ

コンビニで見かけた、やたら強そうな人
すごく真剣な眼差しで、おやつの冷ケースをギロギロ睨んでいた
キリッと結い上げた黒髪と、大判ショール
ヒールだけ白い黒のハイヒール
黒ショートパンツでどーんとあんよを出しているのに、色気というよりそのままトラックを走り出しそうな風情であった

他にもおっ!と思う人はいろいろいたけれど、この2人はなんというか、着こなしみたいな意味合いで、福岡では見かけたことがないような雰囲気だった
若い子ならみんな着てるとか、いろんな服屋で目につくとか、そういう「安定感」「鉄板」とは無縁の感じ、どうかしたらケガしかねないようなチョイス
にもかかわらず、恐ろしく堂々としていた

※※※

さらに昨年9月
霧島に山口晃の展覧会を見に行った帰りしに、熊本で晩ご飯にした
ちょっと寄ったコンビニで見かけた女子、連れ同士ではなかったが、どうしたもんか2人ともカーキのガウチョパンツであった

カーキ女子

去年は秋の訪れが妙に早く、とはいえニットはさすがにまだ見かけない時期に、あっさりとニットを着ていた明るめボブの人
オレンジ×カーキの定番組み合わせ、コンパクトな白パイピングのバッグ、ベージュの太ヒールというなんちゃないおにゃのこ服ではあるが、黒のソックスが妙に目につく
このおかげで、なんだかガクッと崩されたような感じ

かたや、バタバタとお茶を買って出て行った、OL風の人
ふわふわの髪をピンクオレンジの髪飾りでまとめ、ゆる白シャツはウエストでキュッと絞る
こちらはカーキと言ってもかなり明るめで、目が詰まった張りのある生地
履きの深いサンダルとかごバッグは夏の名残ながら、やっぱりカーキは「9月」を意識したものに見えた

流行りには疎いのだども、ガウチョパンツ?スカーチョ?(つい「キュロット」と言うてしまう年代)はいつ頃から流行ってたっけ…
多分この時が最速ということはなかろうが、この2人、こなれ感?wというのか、一瞬しか目に入らなかったのに、そこだけ輝いているように見えた

※※※

そう、このブログで描いてる人は、なんかたまたま目に飛び込んできた人たち、大勢の人々が行き交う中で、発光しているかのように見えた人たちである

3年前、物心ついて以来ほとんど行った記憶のなかった熊本市内を見た時、輝くような人たちがたくさんいた
街なかで目を上げれば、夜空にそびえる天守閣が、賑わう街並を守るように見下ろし、繁華街にはエネルギーに満ちた人々が、老いも若きもそぞろ歩きを楽しんでいた
去年寄った時も、大きなアーケードの中はみんな変わらず楽しげで、なんて活気のある、いい街だろうと思った
ものはおいしく、自然が近く、歴史にあふれ、成りものも豊か

あの愛すべき地が、甚だしい震災によって引き裂かれ、大勢の人々が明日をも知れぬ思いで過ごしている
あの地が再び、輝きを取り戻すには、どれほど時間がかかることだろう

でも、それは絶対に成し遂げられると思っている
根拠はないけど、絶対に

今この時のつらさ、苦しさは、当事者ではない私には計り知れないことだと思う
でも、いつか必ず、絶対に彼らは成し遂げる
私はそれを、頭から信じている
あんなに素晴らしく魅力的な街を作り、住んでいた人々が、やり遂げられないわけがない
その力は、絶対に彼らの中にあるし、これから先もどんどん湧いてくると信じている

※※※

東日本大震災から5年経って、SNSも発達した今は、彼の地の現実が毎日のように流れてくる
震災とは何か、その後何がどのように起こるのか、刮目して見る日々
そんな甘い話ではないと分かった上で、あえて

災害は予測できないし、起こってしまえばひとつひとつ、一から丁寧にまた石を積み上げていくことしか、できない
でも、積み上げていけばいつか、積み上がる
そっくり元通り、同じものが出来るわけではないけれど

積み上げる間に何度も訪れるであろうつらさ苦しさを、みんなでなんとか工夫して、上手く逃してかわして
積み上がった時、「これはこれで、バンザーイ!!」と言えたらなあ

メモ