熱中症物語
先日、軽度の熱中症をくらった。
なかなかない体験だったので、メモ代わりに。
【発症までの動き】
・友達と12時半に天神で待ち合わせで、家から歩いて3分のバス停で3分待ってバスが来た
・手土産を買うのに、暑さを避けて地下街を移動
・待ち合わせ場所からランチの店まで、極力地下街を歩き、地上を移動したのは5分程度
・お寿司を食べる。友達のダンナさんの仰天話に驚きすぎて味がヨソに吹っ飛ぶ(しかし非常においしいお寿司屋さんです)。お茶2杯、お吸い物1杯。
・滞在時間はおよそ1時間、そこから外を歩いて5分程度のコーヒーショップへ移動。フローズンタイプのコーヒーを注文。旨かった。
・16時に店を出て天神の真ん中に戻る。地上を歩いたのは10分、夕方でビル陰も多く、風が抜けて昼間よりかなり涼しい体感。
・友達と別れて地下街、三越、VIOROと回り、買い物を済ませる。外には出ていない。約1時間。
・フローズンタイプのコーヒーをもう1杯買い、天神某所でスケッチ。外ではなく涼しい建物内でゆっくり座って作業。2時間。
・画材を買いにインキューブへ。地下街を移動。涼しい店内で色を検討するのに没頭して1時間。
↓
そろそろ帰ろうかな、と歩き出した時に、ぼわ〜〜〜〜〜っとした立ちくらみ感を感じる。
続きを読む1985年の夏
前にもどっかで書いたことのある話だけども。
小6の夏休み、とあるイラストコンテストで2位になった。
新聞社主催のイベントで、お祖母ちゃん家からバスに乗って福岡に出て、表彰式に行った記憶がある。
上位入賞者は夕刊に掲載します!と言われ、大変テンションが上がっていた。
で、その掲載予定日の前日、日航機が墜落した。
夏休みに宮崎から福岡のお祖母ちゃん家に行くのはいつも飛行機だった。
確か小学校低学年からずっと、東亜国内航空のこども一人旅用「VIPチャイルド」で搭乗し、最前列の席で優しいスチュワーデス(と当時は呼んでいた)さんにいつも、1人で偉いねと褒められて、とても誇らしかった。
当時の私にとって空の旅とは「楽しいもの」だったため、レーダーから消えました、というアナウンスは、これまで自分がどういう状況に置かれていたのか、全く違う角度から見せつけられたような気持ちになり、かなり動揺した。
夕方、テレビ画面にテロップが出て以降、全部のチャンネルが緊急ニュースになり、くり返し状況を伝えた。
夕ご飯も上の空、その後もテレビにかじりついてニュースを見ていると、
「乗客の中に、坂本九さんがいらっしゃった模様です」
という最新情報が入ってきた。
その瞬間、今でもハッキリ覚えているが、テレビ画面以外の景色が全て、本当にマンガの集中線のような、膨大なフラッシュの線でいっぱいになった。
坂本九?
あの?
瞬間目の前をよぎる、笑顔のおじさん。
彼はいつも、テレビの中で満面の笑顔だった。
周りの大人が若い頃から活躍している人気者で、具体的にどういうポジションの人なのかよく分かっていなかったが(というか当時の小6は芸能人のカテゴライズなんてほとんどできてなかったと思う)、「上を向いて歩こう」を朗々と歌う姿は見たことがあったし、そしてその歌を世の中はとてもよいものとして扱っていた。いい歌だと、みんな言っていた。
坂本九は私の中で、「死」のイメージから最も遠いところにいた人であった。
そんな坂本九が、このレーダーから消えた飛行機に乗っていた?
テレビ画面以外のフラッシュ線は、かなり長い時間、目に焼き付いていた。
人は動揺が過ぎると、本当にこんなものが見えるのだなと、思った。
この体験は友達にもうまく伝えられず、私はそのまま大人になった。
事故で亡くなる人とは、ニュース番組の中にしか存在しないものだった。
世界のことは、テレビの中から私に伝わり、それは「何々の番組で見た」ということと紐付いた、半ば現実味のないことであった。
福岡の田舎でテレビを見ている自分と、テレビの中で活躍している人と、事故のニュースで報道される人と、命には変わりがないのだと、いっぺんに教えられたような気がした。
当時の私は、坂本九=歌手、という認識すらなく、もちろんファンというわけでもなかったが、夜に一人で部屋で寝ていると、天井に九ちゃんの笑顔がよみがえり、悲しいような怖いような、泣きたくなるような気持ちになった。
何の関係もない一芸能人に対する、この感覚が、多分最初の、具体的な、強烈な「喪失感」だったかもしれない。
例のイラストは当然新聞に載ることはなく、それを残念に思いながらも、連日紙面を覆う事故の情報は、ひたすら読み続けた。
同じ世代の生存者がいて、自分が乗ってきた飛行機の中の景色が目に浮かんだ。
この子も、誰も、こうなるとは思っていなかっただろう。
情報を見ていただけの私にとっても、悲しい、どうにも消しようがない、辛い記憶だ。
この事故以来、お祖母ちゃんにきつく言われ、私は宮崎ー福岡を特急で移動するようになった。
九州の東側の海岸線をぐるりと回る鉄道の旅は、飛行機の速さとは比べ物にならない長さで、ちやほやしてくれるスチュワーデスさんもいなかった。
長い旅路、KIOSKで1冊漫画を買って読んだり、線路脇から各地の名産品が畑に実るさまを眺めたりして、気を紛らわした。
飛行機は、今の社会に無くてはならない移動手段である。
今後は誰もこんな思いをしないで済むように、飛行機に関わるあらゆる人の上に、常に誠実な思いが宿るようにと、この日はささやかながらも祈りを捧げるようにしている。