クロッキーブックの彩雲

「君は泣くふりも素敵だ 姿のいいひとよ」

黄色い花見

先週末は桜がどっと咲き、珍しく天気もよかった

公園に花見客がごった返す中、すこし道から逸れて入った広場に、超巨大なミモザが、文字通り「どぉ〜〜〜ん」と横たわっていた
dekai
(このサイズ感をご覧じろ)
 
こんな木が近くにあったとは!
年に一度、示し合わせたように一斉に咲き揃う桜の、世界の中に占める圧倒とはまた違った、この木の前では人間などは「ほわ〜〜」と口を開けて見上げるしかなかばいな、という感じ
 
かといって、神社にある厳かな大木とも違う、そこはそれ、一つ一つはちいちゃくて黄色くてかわいい、赤ちゃんが笑ってるような花の大群である
 
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子供の頃、製菓材料の「アラザン」とともに「ミモザ」も好きであった
(好きというのは、それが乗ってるケーキの写真を眺めて「たべてみたい…」とうっとりする、なども含めてのもの)
どちらも、お砂糖に何か想像もつかないような技術を駆使して色を付けたもの、とばかり思っていたけれども、長じてのち、ネットで見てみたら「アラザン」はホントに銀らしいし、「ミモザ」はホントにミモザの砂糖漬け、というか、核にミモザの花を使うらしいし…!ときめきしかない…!!
(しかしお菓子のミモザは最近見ない)
 
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(根っこから横向きにどおーんと伸びている)
 
一度折れたように割れた根っこから幹は伸びに伸び、横倒しのままで鈴生りの花を咲かせていた
横になろうが折れようが、水と栄養と光さえ得られれば、どんな格好になろうとも木は生きて、プログラミングに忠実に、知らん顔で淡々と花をつけ葉を茂らせる
桜にはしゃぐ人々にはほとんど気づかれず、なのにこの木は堂々たるもんであった
木にとっては、人間にちやほやされるかどうかなど、知ったこっちゃないのである
 
ミモザを満喫して、ふたたび桜の木々の広場に戻る
人々が思い思いに桜の下を楽しんでおり、眺めて歩くこちらまで楽しくなってくる
敷物を敷いて持ち寄った旨いものを飲み食べ
子供も大人もボールを投げたりバドミントンしたり、凧を揚げたりサッカーしたり
花の陰の下でウトウト、テントまで立てて寝転がり、赤ちゃんをあやしてみたり飼い犬の顔を撮ってみたり
 
昔はこんな景色が目に入っても目が受像しない、ってくらいに、無邪気に花見などを満喫する享楽的な大衆()を認識しないように生きていた
桜の咲く景色自体は好きでも、日の明るい世界で楽しく生きる人々と、自分は切り離されていた
彼らのようには生きないぞ、と心に誓うということは、要するにあらゆる方面で彼らが羨ましかっただけやったんやろなー、と今では思う
 
今は、彼らと同じように世界を楽しめなくてもいいし、自分が楽しみたいように楽しむだけで充分楽しいことが分かっている
そんなのも結局、人それぞれなだけである
いろんな人がいて、いろんなことを言うよ、なのである
 
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【おまけ】
桜もあるでよ!
 
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